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メインカメラが無かったこともあってこのところテツに身が入らず、なかなかフィールドに出る気になれないでいます。なので、今夜は古い画像のネタです。

細かい事を全く忘れてしまい、更に資料による補強をする努力も無いままに軽く流します。

先日、小田急の念願となる複々線が遂に完成し、趣味界の話題を独り占めしていました。そもそもの発端となった高度経済成長期の頃の京急はというと、複々線化などの話は無く、バイパスとして計画された神奈川新町~屏風浦の横浜市営地下鉄2号線は具体化しないままあえなく消滅、朝ラッシュ時の輸送力の増強は優等列車の長大編成化と高密度ダイヤに頼っていました。長大編成と言ったところで全線に亘る運転は不可能で、主に金沢文庫で併合して最混雑区間となる戸部~横浜を凌ぎ、神奈川新町か品川で分割するというパターンが編み出されました。しかし、分割併合には一定の所要時分が掛かるものなので、特に金沢文庫と神奈川新町はダイヤ上のボトルネックになっていました。そのうち金沢文庫は構内配線等が効率的に整備されましたが、一方の神奈川新町は用地も無く子安側に副本線を設けるのがせいぜいでした。そういう困難な状況下に登場したのが、次の画像に示す電空転轍機でした。

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神奈川新町上り線の浦賀寄りに設置されていた電空転轍機。ポイントマシンの向かって左に通常よく見られる電動機ではなくエアシリンダが2本見える。左のツルンとした箱は電磁弁か? バシャンという音と共に一瞬で転換する動きはなかなか見応えがあった

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同所を海側から見る。背景に溶け込んで分かり辛いが右の白っぽい箱に空気圧縮機があり時折パタパタと音を立てていた。その下の筒はエアタンク 2枚共 1985年頃撮影

通常の電動転轍機はご存知のように動作が遅く転換に10秒程度は掛かるものですが、電空転轍機は即動性に優れていて転換は一瞬で、後続の列車を僅かでも早く駅構内へと呼び寄せるようという意気込みの表れでした。
しかし、こういう異端な設備はやはり長続きしないというか、結局いつしか通常の電動転轍機に戻され今は京急では見ることが出来ません。

話の序でに、この電空転轍機というのは、本来は貨物の操車場で貨物列車の組替の為の、ハンプという施設で使われるのが主でした。そのハンプでの入換の動画がYouTubeにありましたのでリンクを貼っておきます。3分30秒辺りに電空転轍機の転換の様子があります。

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すごく断片的なネタですが、京急の旧1000形のなかで、1963年の東急車輌製先頭車である1143、1148、(1079→)1201、(1080→)1206号にだけ見られる特徴に前面表示幕窓周りの形態があったのは、ちょっと古い京急ファンの方なら皆様がご存知の事かと思います。撮影は既に同年代の車両が冷房化されていた1986年頃で、カラー写真が当たり前の時代でしたが、ブログ主はこの頃もちょっと訳があって白黒でした。

その特徴は次の画像に示すように、窓のコーナー部分の外板処理が異なる事でした。旧1000形の様に丸妻様の部分に平面のガラスを入れれば当然連続的に距離が変化する段差が出来る事になるので、目立たない様に外板が工作されていました。しかし、東急車輌製は角Rの周辺の段差が横に直線的に延びていて、これがちょっと目立たないとは言えない造作でした。

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旧1000形の1143、1148、1201、1206号の4両だけは窓の角R部分の処理が異なり、段差は一直線になっていた

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参考までに標準的形態の旧1000形他車。四隅のR部分もガラスと均等な距離になる様丁寧に造形されていた

思えば1960年頃の東急車輌製の車両で、同じ様に丸妻の車体に平面の前面ガラスを嵌めた例に、東急の6000形や伊豆急の100形等がありましたが、いずれも横一な形態でした。京急旧1000形の1963年製は前面の表示幕が前面窓から独立した最初のロットになりますが、東急車輌は自社の前例に倣った“東急車輌スタイル”にしたのでしょうね。

その“東急車輌スタイル”の車両達は窓の上下の段差のおかげで、何となく困ってしまったような愛嬌のある表情になっているのが可愛かったです。

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本題の旧1000形より少し前に登場した伊豆急100形。窓の上下の段差の処理が酷似している。ある趣味団体の見学会の折東急車両内の許可された範囲内にて 2003.3.22撮影
メインのカメラが手元に無いとテツ活動も億劫になってしまい、リアルタイムの更新がサッパリな「数病息災」です。そんなものですからまたフォトレコ遊びに逃避して、今日のネタは弊ブログ初登場?? の阪神電車です。

1970~1980年代の阪神というと、鉄道としての規模の小ささもさることながら、関西私鉄らしからぬ不細工でチープな車両が下町をせせこましく走り回り、時に車内は「六甲おろし」が吹きまくるちょっとイケてない印象が自分としては強いのですが、それに輪をかけたのが、なりふり構わぬ凸凹編成でした。

たった6両なのに編成美のかけらもないその有様の元凶は、阪神最初の冷房車となった7001・7101形です。Wikipediaには同形の説明として、

> 天井の低い7801形2次車から一転して、冷房風道を組み込んだために屋根は高く、幕板も広くなった。

との記述があります。国鉄AU-13タイプ分散冷房車なのになんで冷房風道なのか良く分かりませんが、とにかく冷房を搭載したために屋根がとりわけ深いノッポないで立ちになっています。新造当初は同形3両と、同じ車体で造られた7801・7901形の“40番代”2両とで5両編成を組み違和感はありませんでしたが、6連化に際して7101形Tc車を増備して7001・7101形を4連に組み替えたことから編成相手を選ばなくなり、車体裾が丸くないドケチな奴や、製造時にラインデリアを搭載し上屋根(ベンチレーター・モニター・ダクト??)の関係から屋根がやたら低いチビの7801・7901形も連結するようになって赤胴の凸凹編成の時代が訪れ、1990年代のノッポな奴らの車体更新が始まると徐々に解消されていきました。

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先ずはオリジナルに近い凸凹でない編成。7001・7101形は当初はこの画像の様な同形車体の7801・7901形と編成を組んでいた

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7001・7101形が4連になると車体裾が丸くない幌や縦樋まで露出した初期形の7801・7901形も連結相手となり凸凹編成を形成

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ちょっと横道に逸れる画像だが、丸っこい車体が魅力の7601・7701形も7801・7901形と組むと微妙な凸凹に。この形式の窓配置は阪神電車の中では一番好きだったデザイン 以上3枚 野田にて 1986.8撮影

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そして凸凹編成の極め付けは恐らくこのパターン。手前の7801・7901形はラインデリア装備の非冷房車で登場したロットで、分厚いラインデリアの上屋根を載せる為に車体の高さが低く冷房化の後もチビのまま。編成後ろの7001・7801形とは幕より下が全く同形なためこと更屋根高の違いが強調される 西宮にて 1988頃撮影

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思わずクローズアップしたくなる段差。京急ヲタ的にちょっと凹むのはチビの7801・7901形よりも、当時の京急電車の方が更に屋根高が低かったこと

現在の阪神電車にも若干の凸凹編成が残りますが、それは悲しい震災の名残であることは言う迄もありません。
2日続けて古い写真、しかもまた歴史は繰り返すような内容になりました。

たまたまスキャンを始めたのが1986年頃のネガでしたので2日続きで同じ頃になりますが、今日のネタは京成3600形の3628編成製造の頃です。
京成3600形というと両数も少なく地味な存在で、しかも先頭がT車であることから京急線ではお目に掛かる事もなく、我々京急サイドの趣味人にとっては大変に馴染みの薄い形式です。更に当時はT字ワンハンドルが有り得ない程異端だったので、恐らく新製時の回送を除いて、京急線には二度と来ることはあるまいと予想され、故になんだか撮影に気合が入ったものでした。
冒頭は東急車輌で製造され正門付近を入換中のひとコマです。今では絶対に撮れない撮影禁止場所ですが、当時は長閑なもので守衛さんとヨタ話をしながら小一時間うろうろ撮影していたものです。動力は東急車輌のDD11、奥には東急車輌名物の牽引車も見えています。

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DD11に牽かれて入換えられる京成3600形新造車 東急車輌正門にて モノクロ写真5枚は 1986.6撮影

そして3600形は従前の理由もあって京急線内を自走できない車両なので、それを京成線迄連れ帰る牽引車が必要になります。この時充てられたのは京成赤電の3100形3108編成でした。この頃は相互乗入といいながらも京成車が京急に来る運用は全く無かったので、こちらもこちらでなかなかのお祭りでした。

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品川に現れた珍客「オレンジ色の憎い奴」

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金沢八景2番線に到着後ZSTを経て4番線へと導かれた京成3100形3108編成。この後東急車輌に入っていった

そして夜、京成3600形は編成を分割し2回に分かれて3100形に牽かれ、京成線へと向かっていきました。

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回送1日目は成田寄りの3両を運ぶ。使ったフィルムはコダックのTRY-X。ISO400で通過する列車を撮ろうなどとはいくらなんでも冒険し過ぎ 京浜鶴見にて

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回送2日目はお顔が見えるのでやや丁寧に?? 品川にて

そんな3600形3628編成は、時を隔てて編成替えでバラバラにされてしまったものの、先頭車2両は魔改造のタネになり“ターボくん”と呼ばれるようになっていました。「ターボくんてつおいんだよね」というわけで、「二度と来ることはあるまい」と思われた京急に再び姿を見せることになりました。牽かれる車から牽く車に役割を変えて・・・・・・・。

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中間に取り込まれたとは言え“ターボくん”となった3621と3628号は牽引車として再び京急に足を運ぶ 金沢文庫にて 2010.2.1撮影
こちらのタイトルに挙げた「フォトレコ」は、ナカバヤシから売り出されていた写真プリントやネガ・ポジの簡易スキャナで、下記URLにあるような製品です。ちょっと友人からお借りしてきました。

フォトレコ フォト&ネガ - フォトレコ - フォトレコ - デジタル文具 - 製品紹介 - ナカバヤシ株式会社

近頃フィルムスキャナーはこれと言った製品もなく、昔撮影した銀塩写真を弊ブログで紹介する(やっつけな)方法が見当たらず途方に暮れていたので、上手く行ったら儲け物な気分で試してみました。結果、フィルムからのピクセル数は1632×1088、画質はかなり階調に乏しく、まあ「簡易」のなかの「簡易」といったところですが、ブログでのお遊び程度なら良いかなと言う事で、現在モリモリスキャンしているところです。残念なのはマウントされたリバーサルがスキャン出来ないことですが、それは別の方法を考えないといけなません。

弊ブログではその画像を利用して、これから暇な時の埋め草程度の気楽なスレをこしらえてみようと思います。アップに脈絡はありません。また京急とも限りませんが、何卒お付き合いの程を宜しくお願い致します。




今夜はその第一弾。時は1986年11月頃・・・・だったでしょうか。いい加減な事をいっていますが、なにしろ銀塩の頃はそういうデータが画像に残っている訳ではないので、メモを取れないダメ人間にとって、5W1Hの書き出しは難しいというより無理な相談ですのでこうなってしまいます。
古いフィルムからの画像は、京急二代目600形が引退後、久里工(京急車輌)で改造の上琴電1070形として旅立つ姿を大黒ふ頭で捉えたもの。車号は1073と1074号ですね。あちらではまだ現役ですが、そろそろ引退の日も近いのではと思います。

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大黒ふ頭に陸送されてきた琴電1070形の2両 以下モノクロ画像は1986.11撮影(だと思う)

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別角度から琴電1073号を撮る。因みに冷房機はCU71

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そして琴電1074号

それから25年の時を隔て、同じ所で同様な光景が繰り広げられ、引退した旧1000形が高松で同僚に引導を渡す結果になりました。ブログ主はいずれにも立ち会う事になり心境は誠に複雑でした。

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大黒ふ頭で船積みを待つ琴電1300形の1305と1306号 2011.8.19撮影
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