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すごく断片的なネタですが、京急の旧1000形のなかで、1963年の東急車輌製先頭車である1143、1148、(1079→)1201、(1080→)1206号にだけ見られる特徴に前面表示幕窓周りの形態があったのは、ちょっと古い京急ファンの方なら皆様がご存知の事かと思います。撮影は既に同年代の車両が冷房化されていた1986年頃で、カラー写真が当たり前の時代でしたが、ブログ主はこの頃もちょっと訳があって白黒でした。

その特徴は次の画像に示すように、窓のコーナー部分の外板処理が異なる事でした。旧1000形の様に丸妻様の部分に平面のガラスを入れれば当然連続的に距離が変化する段差が出来る事になるので、目立たない様に外板が工作されていました。しかし、東急車輌製は角Rの周辺の段差が横に直線的に延びていて、これがちょっと目立たないとは言えない造作でした。

1143or1201_86xxxx.jpg
旧1000形の1143、1148、1201、1206号の4両だけは窓の角R部分の処理が異なり、段差は一直線になっていた

1xxx_86xxxx.jpg
参考までに標準的形態の旧1000形他車。四隅のR部分もガラスと均等な距離になる様丁寧に造形されていた

思えば1960年頃の東急車輌製の車両で、同じ様に丸妻の車体に平面の前面ガラスを嵌めた例に、東急の6000形や伊豆急の100形等がありましたが、いずれも横一な形態でした。京急旧1000形の1963年製は前面の表示幕が前面窓から独立した最初のロットになりますが、東急車輌は自社の前例に倣った“東急車輌スタイル”にしたのでしょうね。

その“東急車輌スタイル”の車両達は窓の上下の段差のおかげで、何となく困ってしまったような愛嬌のある表情になっているのが可愛かったです。

iz101_030322.jpg
本題の旧1000形より少し前に登場した伊豆急100形。窓の上下の段差の処理が酷似している。ある趣味団体の見学会の折東急車両内の許可された範囲内にて 2003.3.22撮影
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まさに!

実は、私も同じようなことを考えていました。確かに昭和30年代に製造された編成は、このタイプの顔が主流でしたね。幼少の頃、伊豆高原に旅行に行った時、伊豆急100系を見てこれは京急1000形に近いデザイン!と、惚れ込んでいたときもありました(笑)貫通幌をつなぐスタイル、今ではありませんが、極端な話、このスタイルがなければ新1000形1800番台が存在しなかったと考えています・・・総合車両製作所製造ですので。

2018/05/01(Tue) |URL|ハリー・センボーン [edit]

Re: まさに!

ハリー・センボーン 様

いつもコメント頂き誠に有難うございます。ご返事が大変に遅くなり誠に申し訳ございませんでした。

> 実は、私も同じようなことを考えていました。確かに昭和30年代に製造された編成は、このタイプの顔が主流でしたね。幼少の頃、伊豆高原に旅行に行った時、伊豆急100系を見てこれは京急1000形に近いデザイン!と、惚れ込んでいたときもありました(笑)貫通幌をつなぐスタイル、今ではありませんが、極端な話、このスタイルがなければ新1000形1800番台が存在しなかったと考えています・・・総合車両製作所製造ですので。

旧1000形は所謂一号線規格で、前面に貫通路として使用できる扉(非常口)が必要になり、都や京成と同様、当時としては常識的な前面形状になったと私は理解していますが、旧1000形貫通路の最大の特徴は、乗務員室車掌側の仕切りがレール方向に移動する可動仕切りだったことだろうと思います。貫通構造の乗務員室は今の1000形の“1800”をご覧になってお分かりになるかと思いますが、運転機器等を閉鎖する為仕切りがあって窮屈になり勝ちなのですが、旧1000形は仕切りが移動することによって乗務員室を広々と使う事ができる優れた設計でした。尚、旧1000形の前面の貫通構造は、押しなべて一日の長がある関西風、そして設計はより長い歴史がある川崎車輌(川崎重工)の意向がより強く影響したものではと思っています。

今後とも弊ブログを宜しくお願い致します。

2018/05/05(Sat) |URL|chiquichan [edit]
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